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江戸時代の文人蜀山人(太田南畝)が当社を訪れた時の紀行文(寛政九年:1779)には次のように天祖神社について記されています。
「上板橋の石橋を越へ右へ曲り坂を上りゆく、岐路多くして判りがたし、左の方に一丁あまり松杉のたてたる所あり、この林を目当てに行けば神明宮あり」
この「石橋」とは石神井川にかかる現在の「下頭橋」を指します。古くからこの地にいらっしゃる方は、いまでも「神明さま」と当神社を称される方もいらっしゃいます。当神社は明治5年までこのように「神明宮」「神明社」と呼ばれていたためです。
天祖神社は、旧上板橋村の産土神として古くからおまつりされている神社です。御深草天皇(鎌倉時代)の頃に、伊勢神宮でお祭りされている天照大御神を勧請したという伝承もありますが、どれくらい古いのかということは、実ははっきりしたことはわかっていません。
昔、上板橋村字原(神社周辺の地)に天照大御神のお姿が現われたという「影向跡(ようごうあと)」があって、そこに「伊勢神社」を勧請したという言い伝えもあります。
(『北豊島郡誌』) この「伊勢神社」は現在境内に「末社」としておまつりしていますが、この伝承は天祖神社の創建に深い関係があると考えられます。この影向跡がどこにあったのかは詳らかではありません。
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